セミナー アーカイブス Event & Seminar Reports > BRCA遺伝子研究: 現状と将来展望、医療への展開 BRCA遺伝子研究: 現状と将来展望、医療への展開 第29回日本遺伝性腫瘍学会学術集会 特別講演 (2023年6月開催) 座長: 杉本 健樹 先生高知大学医学部附属病院 乳腺センター長臨床遺伝診療部長 演者: 三木 義男 先生筑波大学 プレシジョン・メディスン開発研究センター 客員教授医療法人医誠会 ゲノム医療担当顧問 登壇者のご所属は、記事作成時点での情報を記載しています。 2009年に公益財団法人がん研究会で開催された第12回家族性腫瘍カウンセラー養成セミナーでの三木義男先生のご講演に感銘を受け、遺伝性腫瘍診療の道へと進まれた杉本健樹先生。ご自身が会長を務める第29回日本遺伝性腫瘍学会学術集会の特別講演は、ぜひ三木先生にとご依頼をされました。 本講演では、BRCA1遺伝子を同定された三木先生だからこそ語ることのできる、「BRCA遺伝子研究:現状と将来展望、医療への展開」をテーマにご講演いただきました。 BRCA1 発見の歴史 1990年にアメリカのKingらは若年性家族性乳癌の原因遺伝子が染色体17q21にあるとし、その遺伝子座をBRCA1と名付け報告しました1)。1994年に私がBRCA1、1995年にイギリスのStrattonらがBRCA2の単離・同定に成功し、それぞれ報告しました2,3)。しかし、私の遺伝子研究における闘いはそれ以前から始まっていたのです。1987年にイギリスのBodmerらが家族性大腸腺腫症(FAP)の原因遺伝子であるAPCが5q21-q22にあると報告をしました4)。当時私の上司であった、日本遺伝性腫瘍学会の前身である家族性腫瘍学会の名誉理事長 宇都宮譲二先生と、「DNAマーカーとは何ぞや」と語り合いながら、本文献を読んだことを覚えています。その後、1991年に中村らなどがAPCとFAP発症に関し報告しました5-8)。私はこの中村祐輔先生の研究に参加し、遺伝性疾患における遺伝子研究に必要な知識や方法を多く学びました。1991年にアメリカのユタ大学に留学し、本格的にBRCA1研究に取り組み、1994年の報告に至ります。 図1: 三木先生がBRCA1について報告した1994年Scienceの表紙 1994年にBRCA1の同定を報告した「Science」の表紙には、アーティスト Hollis Siglerの「祖母の幽霊と歩く」(1992)が掲載されました(図1)。Siglerは、1986年に祖母や母親と同様に乳癌を患っていることを知り、5年後には癌が骨にまで広がります。以降、乳癌を患った女性の emotional impact を、絵を通して伝える活動を行いました。表紙に採用された「祖母の幽霊と歩く」を見て、BRCA研究を行うことは、今後私にとって大きな責任が控えていると感じたことを、今でも覚えています。 BRCA 遺伝学的検査による診断 一般社団法人日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)は、登録事業のひとつとして、日本人のBRCA変異データベース(HBOCコンソーシアム)を作成しました。2018年の報告では3,477症例中241症例(6.9%)でVariant of Uncertain Significance(VUS)がみとめられています。HBOCコンソーシアムと、臨床ゲノム情報統合データベースであるMGeNDのコーディング領域に存在するVUSを対象に、相同組換え修復(HR)活性を測定し、コントロールの活性1に対する比活性が0.5以下を欠損としたところ、BRCA1では図2の結果となりました。BRCA2でも同様にHR活性1~0.5は多く存在していることから、この結果を今後どのように理解し、臨床に活用していくかが課題になると考えています。 遺伝子医療において世界的に広く利用されている疾患バリアントデータベースであるClinVar9)では、全遺伝子において約90万種、BRCA1では約2,000種、BRCA2では約4,000種のVUSが報告されています(図3)。注目すべき点は、解釈が対立するconflictingのBRCA2の変異が、VUSよりも多くなっていることです。これは近年、世界的にデータを共有しながら活発な研究を進めた結果、VUSがconflictingまで進歩したあらわれともいえます。これは、これまでの研究の成果と捉えられる一方で、conflictingに分類された変異の解釈については、新たな課題になると考えています。 gnomAD (The Genome Aggregation Database) 10)は、あらゆる研究で調べられたヒトのエキソームやゲノムのデータを集約したアメリカのブロード研究所 (Broad Institute)が提供するポピュレーションベースのデータベースです。gnomADでは、BRCA1/2ともに約2万種の変異が報告されています。その多くは良性であると思われますが、なかにはイントロンの深い部分、すなわち遺伝子から離れた領域にある変異で、スプライシング反応に影響を与える可能性があることから、このようなデータの解析も今後必要になると思います。 また、医療関係者が遺伝的要因などのリスク因子から将来の乳癌・卵巣癌の発症リスクを算出するためのオンラインツールであるCanRisk11)や、ゲノムワイド関連分析(GWAS)によって同定された特定の疾患に関連すると推測されるすべてのバリアントを評価するpolygenic risk scoreも、遺伝子医療における診断では今後さらに重要になってくるのではないかと考えています。 図 2: HBOCコンソーシアムとMGeNDにおけるBRCA1 VUSのHR活性値 図 3: ClinVarの生殖細胞系列とBRCAバリアント数(2023年5月2日時点) BRCA 機能の解明 BRCAの機能は、DNA損傷に対する修復機能が中心です。内因性あるいは外因性因子によりDNA損傷が生じると、細胞周期を停止して損傷を修復し、修復不能な損傷の場合は細胞死へと誘導します。このDNA損傷反応に破綻が生じると癌化が生じると考えられており、BRCA変異を有する遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)はそのひとつです。 DNA損傷修復機構は、DNA一本鎖切断と二本鎖切断でそれぞれ異なります(図4)。DNA一本鎖切断では、ポリADP-リボースポリメラーゼ(PARP)が関与する塩基除去修復(BER)によりDNAは修復されます。DNA二本鎖切断に対する修復機構には、HR、マイクロホモロジー媒介末端結合(MMEJ)、非相同末端結合(NHEJ)があります。HBOCのようにBRCA1/2に変異があるとHRが機能せず、MMEJやNHEJにより修復しますが、これらはエラーを生じやすい修復機構であるためゲノム不安定性をもたらし、癌化を引き起こすと推測されています。このようなDNA損傷に対する修復機能やBRCAの機能を背景に開発されたのがPARP阻害薬です。このPARP阻害薬についてさらに詳しく解説したいと思います。 図 4: DNA安定性を維持するDNA修復機構 BRCA を標的とした治療の開発 殺細胞性抗癌剤あるいは放射線による治療では、DNAの修復能を超える損傷を与えて癌の細胞死を誘導するのが基本的なメカニズムです。しかし、癌細胞中のDNA修復能が維持されていると治療抵抗性が生じます。そこで登場したのが合成致死療法です。先述の通り、遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)のようにBRCA機能が消失した細胞では、ポリADP-リボースポリメラーゼ(PARP)による塩基除去修復によるDNA修復が細胞生存に不可欠となります。これに対し、PARP機能を阻害すると、DNA損傷修復機構が破綻し細胞死をもたらします。このように複数の遺伝子欠損による細胞致死を利用した治療を合成致死療法と呼び、これを基に開発されたのがPARP阻害薬です。 しかし、PARP阻害薬には治療抵抗性獲得の課題があり、その課題を解決するための研究が活発に行われています。そのひとつとして注目されているのが、DNA ポリメラーゼシータ(POLQ)のインヒビターです。先述したDNA二本鎖切断修復機構のひとつであるマイクロホモロジー媒介末端結合(MMEJ)では、POLQというタンパク質が関与しています(図5)。最近の研究によると、PARP阻害薬に対し治療抵抗性を獲得した癌に対して、POLQ活性阻害が有効となる可能性があるとされているのです。2021年には、DNA修復遺伝子に変異があるトリプルネガティブ乳癌のマウスモデルの腫瘍縮小が報告されており12)、POLQインヒビターの臨床活用に期待をしています。 図 5: DNA2本鎖切断損傷の修復機構 BRCA変異による臓器特異的発癌のメカニズム解明へのチャレンジ まず、胃癌について、素因遺伝子の生殖細胞系列病的バリアントと胃癌リスクの関連を調べた研究では、9種の遺伝子(APC、ATM、BRCA1、BRCA2、CDH1、MLH1、MSH2、MSH6、PALB2)の病的バリアントが胃癌発症との関連を示しました13)。また、胃癌発症リスクについて、病的バリアントとH. pylori感染の有無を複合的に調べた研究では、H. pylori非感染者の胃癌累積発症率は、病的バリアントの有無にかかわらず5%未満でした。一方で、H. pylori感染者では、相同組換え遺伝子(ATM、BRCA1、BRCA2、PALB2に限定)の病的バリアント保有の場合、胃癌の累積発症率は45.5%で 、非保有者の14.4%に比べ高値でした。 次に、食道癌について、日本人食道癌のゲノムワイド関連解析(GWAS)により、食道癌の発症と1B 型アルコール脱水素酵素(ADH1B)および2型アルデヒド脱水素酵素(ALDH2)遺伝子の多型は強く関連し、飲酒・喫煙と合わせると発症リスクは189倍高まることが示されています14)。また、8ヵ国での遺伝子変異のパターン(変異シグネチャー)解析により、飲酒などの生活習慣ならびにALDH2・BRCA遺伝子多型が食道癌の突然変異誘発に関連していることが示されました。なかでも飲酒関連の変異シグネチャー (SBS16)が、日本とブラジルの食道癌で多く、飲酒歴があるとSBS16によるTP53変異の発生率が高いことも明らかになりました15)。体内で生成されるホルムアルデヒドやエタノールの代謝産物であるアセトアルデヒドなどは、BRCA2を分解します。BRCA変異があると、例えばBRCA2が50%存在していたとしても、分解により20%まで減少し、ハプロ不全を誘発します。その結果、ゲノム制御機構が破綻しゲノム不安定性が引き起こされます(図6)16)。このことから、同じBRCA機能異常であっても各臓器によって発癌メカニズムは異なることが推察されるため、さらなる臓器特異的なメカニズムの解明が望まれます。 図 6: アルデヒドによるBRCA2 ハプロ不全およびゲノム不安定性の誘導 MSI腫瘍(リンチ症候群)における新規合成致死療法の可能性 リンチ症候群はミスマッチリペア(MMR)遺伝子異常を起因として、若年で大腸癌など種々の悪性腫瘍を発症します。リンチ症候群関連腫瘍は、マイクロサテライト不安定性(MSI)が高いことが特徴として挙げられます。このいわゆるMSI腫瘍細胞中で、RecQ 型のDNA ヘリカーゼ(WRNヘリカーゼ)をコードするWRN遺伝子をノックアウトする合成致死療法に関する研究が報告されました17-20)。WRN遺伝子は、代表的な「早老症候群」のひとつであるウェルナー症候群の原因遺伝子で、様々な非 B 型DNAの二次構造を制御する機能を有しています。MSI腫瘍細胞中では、MMRが機能しないため十字架様の二次構造を形成するTA反復配列の大規模な伸長を引き起こします(図7)。WRN ヘリカーゼが機能する場合、非 B 型DNAである十字架様構造は正常に修復されますが、WRN ヘリカーゼ非存在下では修復されずに染色体破砕を引き起こすとされています。このようにMSI腫瘍はWRNヘリカーゼの活性に依存的であることが示唆されており、合成致死療法としてWRNヘリカーゼは治療標的になる可能性があると考えています。 図 7: MSI腫瘍のWRN依存性についてのメカニズム的考察 BRCA研究の今後の展望 最後に、第3回JOHBOC学術集会でのKing先生の発言を紹介します。 乳癌あるいは卵巣癌と診断されたのちにBRCA1/2変異が検出された全ての患者さんは、癌発症予防の機会を逃している。BRCA変異を有する女性は1人として乳癌や卵巣癌で亡くなるべきではない。 私は本発言からKing先生がこれまで行われた研究の背景にあった想いに触れ、とても感銘を受けました。一見、この発言は夢物語のように思われるかもしれません。ですが、本講演で紹介したこれまでのBRCA研究の蓄積により、診断や治療は大きく進歩しています。この進歩により、King先生のこの言葉は現実になりうると思っています。 座長からのメッセージ BRCAのVariant of Uncertain Significance(VUS)を対象とした相同組換え修復(HR)活性測定について、今回提示されたデータはHBOCコンソーシアムなどの日本人のデータベースでの解析でした。しかし、人種や民族などの影響により、他のデータベースを使用した場合は、本データと解釈が異なる可能性があると感じました。そのため、人種や民族を考慮したデータベースの構築が今後必要になってくると思われます。三木先生、非常に勉強になるご講演、本当にありがとうございました。 【出典】1) Hall JM, et al. Science 1990; 250:1684-9.2) Miki Y, et al. Science 1994; 266:66‒61.3) Wooster R, et al. Nature 1995; 378:789‒792.4) Bodmer WF, et al. Nature. 1987 Aug 13-19;328(6131):614-6.5) Kinzler KW, et al. Science. 1991 Aug 9;253(5020):661-5.6) Nishisho I, et al. Science. 1991 Aug 9;253(5020):665-9.7) Groden J, et al. 1991 Aug 9;66(3):589-600.8) Joslyn G, et al. 1991 Aug 9;66(3):601-13.9) https://www.ncbi.nlm.nih.gov/clinvar/ (2023年7月3日閲覧)10) https://gnomad.broadinstitute.org/(2023年7月3日閲覧)11) https://www.canrisk.org/(2023年7月3日閲覧)12) Helleday T. Nat Cancer. 2021 Jun;2(6):581-583.13) Usui Y, et al. N Engl J Med. 2023 Mar 30;388(13):1181-1190.14) 松田 浩一. がん分子標的治療, 2017;15(1):23-27.15) Moody S, et al. Nat Genet. 2021 Nov;53(11):1553-1563. 16) Tan SLW, et al. Cell. 2017 Jun 1;169(6):1105-1118.e1517) Behan FM, et al. Nature. 2019 Apr;568(7753):511-516.18) Chan EM, et al. Nature. 2019 Apr;568(7753):551-556.19) Lieb S, et al. 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